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大塚 健一朗ブログ

大塚の人生 3

2019.11

工業高校を卒業し、家から近い大手電気機器組み立て工場に就職が決まりました。

平成3年4月の事でディた。同期入社33名、うち女性が7割。

『女性』が生活の中にほとんど無く、高校時代は自転車ですれ違う程度だった私は一気に素が出てきました。

元々、恥かしがり屋、人見知り、学生時代は自分から物事を起こすタイプではなかった私。

今では『モジャさん!モジャさん!』と皆様より、この天然パーマが親しまれてますが、33歳くらいまで超コンプレックスでした。

また、髭が濃い、顔が長い、胴長短足、上がり症・・・コンプレックスの塊でしかなかったのです。

特に酷かったのが、女性の目を見て話が出来ない。

緊張して、会話が出来ても体中から汗が吹き出て会話を覚えてない。

就職先は約700人、女性従業員は6~7割だったため毎日が緊張の連続だったことを思い出します。

そんな工場生活で、またもや現れた人生感を教わる人との出逢い。

直属の上司だったY氏。

ある時、残業をお願いして回るY氏が私に『大塚さん、今日残業お願いできないかな?』と言って来られた時、

彼女とデートがあるんだけどデートって言ったら残業しろ!って言われるよなぁ・・・と思いながら『家の用事あるんです』と嘘をつきました。

すると、『その用事とは、君の人生にとっても大切なことなのかな?』と聞き返してきたのです。

『え・・と・・・、実は彼女とデートがあるんです。嘘つきました。残業します。』と持ち場を離れようとした時、

『大塚さん、残業はいいから帰りなさい。あなたの人生で一番大切な事は、今彼女とデートする事です!』と言われたのです。

その時、働くことよりもっと大切なことは『人生』

そんなキーワードが心に入ってきたことを思い出します。

勤務にも慣れ、数年が経ち、一番嬉しかったのは、自分が好きなだけ食べ物が買えて好きなだけ食べれることでした。

欲しい服も、サッカーシューズも、車も自分で買える喜びはとても不思議な感覚でした。

今は家に帰った時に、扉のノブがあること、靴を履くときに紐があること、雨が降っても雨漏りを気にしないでいいこと、

暗いときは照明が点灯すること、蛇口を回せば水が出ること・・

全ての当たり前が当たり前ではない事を経験させて頂いた私は、もしかすると一般の方々より

『ありがとう』と思える数が若干多いのかも知れません。

ありがとうとは 有難う。

有るが難しいと書き、ありがとうの反対語は『当たり前』

始めはドキドキワクワクして、今有ること全てに感謝できていたはずなのに、時が過ぎて見える景色すら見慣れてきた時、

それは当たり前の風景となり、有るが当たり前になっていたのです。

本当は、そこに有る事が奇跡なのに。

失ってわかる事が多い世の中で、今有る事と物へフォーカスできれば、見えなかったものがまた見えてくる。

ありがとう から、 有難う へ。

誰よりも貧乏で誰よりも不幸だと経験したからこそ、有難うと思える感覚が少し多いことに今は感謝しています。

究極貧乏で草を食べていた時、電気代が払えず、そうそくの夜を過ごした時、

『けんちゃん、ろうそくの火もロマンチックね・・・』と言った母親の心境が、親になった今痛いほど分かります。

同じ状況が今起きて、子供に『ろうそくの火もロマンチックね』なんて言えるはずがありません。

罪悪感に苛まれ、前向きな言葉なんて言えない。全ては『愛』から起こる事だと感じることが出来ました。

なんでもノートも同じ事だったんですね。

物事が起きている時は見えないことでも、後になってわかる事が多いのです。

だから、全ての過去に今は感謝できる。

だから、母親に感謝できる。

過去は変えることが出来るのです。今の捉え方で。